『彼女のオシゴト』

 夏も終わりの八月三十一日、僕は蝉の声を聞きながら公園でアイスクリームを食べていた。僕の腰かけているベンチはちょうど木陰になっていて、残暑の日差しを幾分妨げてくれていた。僕の横に座っているのは幼稚園か小学校低学年くらいの年をした女の子で、水色のソーダアイスを地面に落とさないよう必死にアイスを食べている。傍から見れば二人は少し年の離れた仲の良い兄妹に見えるんじゃないだろうか。
「あ……」食べ終わったアイスの棒を女の子がじっと見つめていた。
「当たりじゃん、良かったね」と僕。
「……当たり?」
 女の子はアイスの棒を前にして、首を傾げた。顔の前で棒をじいっと眺めているから、寄り目になってしまっている。
「もう一本もらえるんだよ、アイス。僕が換えてきてあげようか?」
「ううん、自分で行ってくるっ!」
 言うが早いか彼女はベンチから元気良くジャンプして、公園の向かいにある駄菓子屋へと駆け出した。彼女が走るのに合わせて黒いワンピースの裾がひるがえり、日焼けしていない真っ白な太腿が見え隠れする。小麦色に日焼けした脚の部分と黒いワンピースの間にほんのわずかだけ覗く、太腿の白が僕の目には眩しかった。夏も終わりで暑さもましになっているけれど、それにしたって黒い色の服なんか着ていて暑くないんだろうか。でもあれが彼女の制服なんだろうから仕方がない。
 服装よりも更に目を惹くのは、彼女が背中に背負っているモノだった。彼女が背負っているのはどう見たって大鎌で、滑らかなカーブを描く刃の部分を頭の側に、柄の方を足の側にして身に着けていた。その鎌は、彼女が走るのに合わせてかちゃかちゃと軽い金属音を鳴らしている。背の低い彼女にその鎌はまだ大きすぎるらしく、柄の尻尾の部分は地面にべったり着いてしまっていて、彼女が移動するたび左右にひきずられ、その跡が地面に残るのだった。それは海を行く船の後ろにできる波跡にも似ていた。


 今日の午前中、彼女と会った時のことを思い出す。明日から学校が始まるせいか、町にはほとんど子供がいなかった。夏休み最後の日ということで泣きながら宿題に追われているのだろう。最近この辺りに変質者が出没しているらしいから、その影響もあるかもしれない。
 そんな子供のいない町中で、退屈そうに道端に座り込んでいたのが彼女だった。なぜかその時僕には大鎌はまだ見えていなかった。単に気が付かなかっただけかもしれない。座り込んでいる彼女の太腿と太腿とワンピースの間には、純白のトライアングルができていた。それを見てしまった僕は衝動的に彼女に声をかけようとして。今日はどんなことをしてアソボウかと考えていると、突然「危ないっ」と彼女に突き飛ばされて。僕を突き飛ばした彼女の力は、小学生前後の女の子とは思えないくらいに強いもので。
 その時僕は彼女に対して強引にコトに及ばなくて良かった、と思った。そんなことをしていれば、全力で抵抗されたに違いない。


 ちなみにその時僕が立っていた場所には車が突っ込んできていた。もし彼女が突き飛ばしてくれていなかったら、あの車にぶつかって死んでいたことだろう。僕は彼女に感謝した。そして助けてもらったお礼に、アイスをご馳走することにした。その時には既に邪な気持ちは消え失せていた。
 彼女は初めてアイスというものを食べるらしく、アイスが入っている冷却機の前にジュースの空き箱を置き、その箱に乗って冷却機をのぞき込み、たっぷり時間をかけて自分のアイスクリームを選んでいた。アイス一つ一つを真剣に見比べる彼女の顔がとても印象的だった。


 彼女との出会いを思い出している間に、彼女が駄菓子屋から戻ってきた。彼女が手にしているアイスを見て、僕は言った。
「あれ、またソーダアイスにしたの? 同じ種類しか無理だった? 駄菓子屋のお婆さん優しいから、同じ値段のアイスならどれでもいいって言ってくれたでしょ?」
「ううん、これが良かったの。さっきのおいしかったし」
 そう言って彼女はぴょこんとベンチに腰かけ、アイスの袋を嬉しそうにまた開けて二本目のソーダアイスを食べ始めた。夢中でアイスにかぶりついている彼女に僕は話しかけた。
「ねえ、死神なんて初めて見たけれど、死神も命を助けてくれるんだね。僕のこと、交通事故から助けてくれたし。てっきり死神は命を取りにくるものと思っていたよ」
 彼女は両手を離した状態でアイスを口にくわえたまま、器用にこちらへ振り向いた。きょとんとした表情で僕のことを見上げている。そしてアイスの棒を手に持って、くわえていたアイスを口から出し満面の笑みで言った。子供らしい無邪気な笑みというのはこういうのを言うんだろう。だけどなぜかその笑顔に僕の下半身は反応してしまっていた。
「ん? 大丈夫だよ、お兄ちゃん。お兄ちゃんが死ぬまでまだ二分五十四秒もあるんだから。それまで一緒に遊ぼーねっ!」


(1994)

落選でした。